活動の軌跡

EnjoyRoadからHOLISM勉強会、そして尾森クラブへ

これまでの活動の軌跡を振り返ると、その当時の私の自意識、そしてその自意識がどのように変化していったかを見て取ることができます。

一つ下の後輩PT玉城君と私が3年目の時にEnjoyRoadという勉強会を立ち上げました。その会は、療法士向けのセミナーがあちこちで行われるようになる中、私たち自身がアウトプットする場所を作ろうと半ば勢いで始めたものです。養成校時代の同級生や先輩、後輩にも数多く参加していただき、「人に何かを伝える」ということを経験しました。今思えば、「人に何か伝える」というのは、療法士としての仕事でもあります。患者さんや利用者さんに分かりやすく状態や対処方法を伝えることなどは、日常的行為なはずです。ですが、EnjoyRoadを始めた頃の私は、こうした「発表」という形式でもって「人に何かを伝える」と認識していました。ですから、背伸びもしたものです。発信するためには人一倍情報収集が必要だと思っていましたから、日夜勉強もしました。学生時代にはまともに勉強もしたことがなかった私としては、忙しく勉強する日々は恍惚なものだったと思います。勉強したことを、患者さんや勉強会で知り合った人々に還元する。それなりの充実感はありました。

「人に分かりやすく伝える」の背景には、どこか「わかってもらいたい」という欲求が私自身にあったのでしょう。ですが、EnjoyRoadの回を重ねるうちに、いつしか虚無感を覚えるようになりました。それは、「伝わった」と思っても、相手の思考や行動が変化しない、という事実に直面し始めたからです。これに気がついた時の私は、そのことを深く考えるまでもなく、「では、もう少し踏み込んだ勉強会を作ればいい」と安易な発想で、当時一緒に勉強をする仲になった佐々木君と HOLISM 勉強会を結成したのでした。

佐々木君との出会いは、ブログです。彼が私のブログにコメントしてくれたことから、EnjoyRoadにも参加してくれたり、彼が関わる勉強会にも参加させてもらったりする中で、当時お互いの職場が近かったことから一緒に勉強することになりました。オステオパシーを学んでいた彼には「感覚」について色んな示唆をしてもらいました。特に「感覚が大切だ」という言葉は、当時の私には有り難い言葉でした。というのも、臨床中に感じたことと、教科書的なことに相違があった場合、自分の感覚は有用視せずに、自身の勉強不足だとする傾向があったからです。ですから、「感覚が大切だ」という言葉には「え?そうなの??」といった感想でした。もちろん、これまでも無自覚的に自身の感覚を優先していたことはあったでしょう。「分からないこと」もなんとか取り組まないといけない状況はありますから、その際には自身の直感や想像を頼りにするしかないからです。この「感覚が大切だ」という言葉によって、無自覚的だったものが意識化された、ということになります。これは一つのターニングポイントだったのでしょう。私はこの「感覚が大切だ」という言葉をもち、自身の意識状態や感覚されるものが変化することに気づきました。この体験は、「どんな言葉を持つか?」が重要であることを示唆してくれました。そして、一つの方向性として自身の感覚でもって相手の状態を把握することが大切なのであり、教科書的に相手を解釈することが有用なのではない、と結論づけるとっかかりになりました。

かくして佐々木君との交流を進め、 HOLISM勉強会を結成し、平日ナイトセミナーと称して系統立てた勉強会を開催していきました。そして、自身の臨床や勉強会に参加された多くの方の姿を見て、セラピストとして成長するために共通したエッセンスがあるのでは?と抽出した要素を、コース勉強会という形で提供することになったのです。

HOLISM 勉強会コースプログラムは計2クール回しました。述べ20名ほどのセラピストに参加いただきました。
はじめに目標設定を行い、その目標達成に向けて、どんな取り組みをしていくかを検討し、他者と共有する。そして実践を通しての気づきや学びを他者とシェアしてもらいました。またコース自体はプログラムに沿って、ワークを進めていきました。
ここでの目標設定について、開始当初は「セラピストとしての課題や目標設定を用意してくるだろう」と予想していましたが、蓋を開けてみると想定外の課題をあげる方が多数いました。
例えば「職場の先輩との関わり方に悩んでいる」だとか「幸せとは一体どういうことか突き詰めたい」とか、その他かなり個人的課題や目標を設定する方が多く、面食らったのを覚えています。何でしょう、駆け込み寺とでも勘違いされてしまったのでしょうか。始めてしまった以上、こちらも後には引けませんから、まずそれらの課題や目標の背景にある個人的な状況を聞くことからはじめました。そうすると「なるほど、人の悩みというのは実に個人的である」ということを改めて実感したわけです。まだこの時には、「悩み」を一般化することの不可能性を知りませんでしたが、とにかく「なぜそんなことが悩みになるのか」は相手の経歴や現在の認識の齟齬にあると理解できました。話をしっかりと聞く反面、相当に突っ込みも入れましたから、プログラム途中でリタイアしてしまう人もいました。コース修了者の中には「毎回自分自身から膿が出る感じがした」と表現してくれた人もいました。
結局、我々は目の前の仕事、事象を通して、自分自身を省みてるのです。そして浮かび上がった問題や課題に対して、どのような対処をするかが本質的問題なのです。そうした問題に対して、方法論を学んでいくのか。方法を使いこなす自分自身にアプローチをしていくのか。
もちろん、方法論も有効に作用する場合があります。しかし、ここでよくよく考えてみると「自分自身の課題」を一般化することは可能なのか、という問題が出てきます。
例えば同じように治療が上手くいかないという状態に陥ったAさんと bさんがいた時に、同じような方法論が適用になるかということです。
もちろん、それはそれぞれに適した方法論をということが最適解のようですが、そうなると最適解を導き出す方法論が必要になります。結局のところ、最適な「方法論」を探すとなると、どこまでいっても帯に短し襷に長しなんですね。ならば、その「方法論」を使えこなせる自分になってしまう方が速いし有益だと考えるのが妥当ではないでしょうか。となると、アプローチする矛先は、「自分」ということになりますね。
かくしてHOLISM勉強会コースプログラムは修了日に号泣する人が出るという異例の研修会となったのでした。

続きます。