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真似よ!(尾森ノート2)

目標とする人があった時に、その人と今の自分の違いを知ることは重要である。
知った後に大切なのは、その違いの原因を知ることであるが、「原因を知る」というプロセスは「考え方」を熟練しない限りやらないほうがいい。
なぜなら、安易に過去の自分自身に問題があると断定してしまうからである。

違いを知った後にやるべきことは、その目標とする人物の行動を真似てみることだ。
この「真似てみる」という作業をした時に、「真似られた」ということがあった場合、その人物の持つ要素を、自分自身も持っていたということになるだろう。
そうすると、その要素は、「その目標とする人物を介して知り得た」ということであり、これが他者を介して自身を知るということの最たるものである。

違いを知って落ち込んで何になる?
違いを知ったら、まずは真似てみたらいいのだ。
そして、真似やすいところから真似てみるというもの一つのスキルであり、その能力が開発されるから、真似できない部分に関して想像力を働かせる必要が出てくるのである。

違いを知り、原因をたどるというのは、辿ったところで、自己嫌悪に陥るだけである。
まずは真似られるところから真似るべきだ。

「真似る」というのは、大脳を持たない下等動物でも行う最も重要な学習手段であろう。
と知っていれば、なぜそれをしない?
思考活動の結果としての意味づけが、そんなに大事なのであろうか。
であれば、そうした生き方をするのもまた一つである。
その道もまた、人の道である。
ただし、現存する自分は何も変わりはしない。