直感想造研究会(尾森クラブ)とは

「直感」によって得たものから、

「想」何をどのように考え、

「造」どう使用していくか。

直感を実用化する。それが研究テーマです。

「していること」の明確化

直感想造研究会では、「直感を実用化する」と言う研究テーマのもと、様々な取り組みを行います。

その一環として参加者の方々がそれぞれの「現場」において、自分が「していることを明確にする」ということを主たる目的とします。

「していることの明確化」には二つの切り口があります。

一つに自分が何をしようとしているかを明確にすること。これは何かをする以前の「準備」に位置付けられます。

もう一つに、実際に具現化した行為を振り返り、目的に即した行為となっているかを検証しながら修正する作業があります。

端的な表現で言えば、前者で設計図を作り、後者では設計図通りにきちんと行動ができる自分になる、ということです。一体何をしようとして、一体何をしているのか。それを客観的に把握する視点を持つこと。その上で、自身の行動をコントロールできるようにすること。そうしたことができて、初めて「していることが明確になる」のです。

自分が「している仕事」、「取り組んでいること」はどのようなことなのでしょうか。仮に自分以外の他者と関わる取り組みをしているのであれば、相手の生活や広く言えば人生に関わりを持つということです。そのことをどう認識するか。その認識であり、心構えが、していることを明確にさせる『理由』になるのです。

あなたは一体何をしていますか?

 

自分の道は、自分で開く

「していることを明確にする」というのは、一つの道です。それは先にもあげたように、自分自身の認識や心構えが「していることを明確にする理由」となります。この理由はあくまで個人的なものであり、自分自身がそれを成し遂げるより他ありません。つまり、「自分の道は、自分で開く」ものなのです。

「自分の道は、自分で開く」 確かにそうだと思われる方がいらっしゃると思いますが、実際にはそれしかないのです。何故なら、人にはそれぞれに感性の違いというものがあるからです。例えば、「赤」という色を見たときに、それぞれが「赤」と認識することは共通しても、どのように見えているかは同じではありません。優れた画家のように色彩感覚が磨かれた人であれば、一般人には見分けがつかない色の違いを認識できるでしょう。

感性というのは、改めて対象化すると特殊なものに思われがちですが、日常的なものです。必ず誰しもに備わっています。良い例で、私の携わる臨床現場では、女性の方が、妊娠・出産を機に現場を離れ、子育てがひと段落してから何年かのブランクを経て職場に戻るということがあります。そのときに、妊娠・出産以前よりも患者さんの様子の違いや細かい変化に気づけるようになることが多々あります。それもそのはずです。子育てを通して、子どもの予期せぬ体調不良にいち早く気づき、相応の対処をとったり、こちらの思い通りには動かない子どもを相手にしながら、家事や買い物までをこなしていくわけですから、その場その場で対処する能力やわずかな様子の違いに気づける感性が自然と磨かれていくのです。

このように意図せずとも感性は育まれることもありますが、あくまで「現場」にて自身の感性をいかすためには、「感性を育むこと」が大変重要です。ただ、ここで一つ厄介なことがあります。それが前述した「感性の違い」なのです。この「感性の違い」は、感じているものが異なるのか、感じたものの表出のされ方が異なるのかなど考えるべきことが多々あり、収拾がつかなくなる可能性があり、取り扱いが難しいものです。ですから、まず「自身の現場で役立つ感性とは?」という観点から掘り下げて、感性を磨くということが重要になります。臨床現場の場合は、例えば患者さんの不調に気づける、あるいは痛みを出している原因部位を感じ取ることができるなど、様々な面で育まれた感性は役に立ちます。

自分の現場での必要性、そしてあくまで自身が「成長させたいかどうか」という意思の有無が、感性を育めるか否かを左右します。

「関係」という不可視なものの影響

直感想造研究会にはもう一つ重要な目的があります。大方の人の「現場」は、人を始めとした有機物が対象です。医療や介護、あるいは教師などの仕事は、他者との「関係」において成り立ちます。そのことを知る必要があります。

「知る必要がある」と表現するのは、関係性があると思うことと峻別するためです。「あると思う」というのは、自身の想像であり、実際ではありません。人が「関係」を持てた時には、様々な反応が起こります。いくら「関係したい」と思っても、思うだけでは関係は出来ません。そこを打破する一つの方向性として、「していることの明確化」があります。我々は常に、現実として起こした行動で持って相手と関係を持ちます。「関係性」ということの実際を、自分として「知る」ことです。現場で役立つ自分になれるか否かの道を左右します。

このことを明確に認識するようになったのは、日野晃先生と出会ってからです。先生との出会いがなければ、「関係が大事」と思うことはあっても、それを具体的に知ることはなかったかもしれません。

「人それぞれの実際を知る」

「人それぞれ」という言葉があります。そして、「人それぞれ」であると思っている人や言っている人は多くいるでしょう。しかしながら、「人それぞれ」を知っている人は多くはありません。それは「人それぞれ」を本当に考えたことがないからです。「関係」を知る人は、「人それぞれ」を知っています。「人それぞれ」を知るからこそ、それは前提であり、あえて人それぞれという言葉は使わなくなるのです。

さて、人それぞれの実際を知るというのは、入り口としてはあくまで主観的なものになります。主観的に捉えるとなったときに、必ずつきまとう問題としては、その「正しさ」になります。自分の考え、捉えたものは正しいか否か。そのことに疑問を持たない人はいないでしょう。もちろん、その視点は重要です。しかし、少し考えて見ましょう。「こう考えた」、あるいは「こう感じた」というのは、自分自身から出したものです。つまり、具体的なものです。物事の正しさや誤りというのは、ある観点からそれを捉えたときに合理的か否かで判定されます。なので、観点が変化したり、基準が変われば正誤も入れ替わっていまうという抽象的な問題なのです。

例えば、食事をしたときに、口の中に広がる味わいは主観的であるがゆえ具体的です。その料理に何が入っているか。それを当てるとなったときに、求められるのは正誤です。そして正誤を主たるテーマに置いたときに、それぞれの食材の味、その組み合わせで生じるであろう味の変化を知っている必要があります。果たして、食べたものの材料や調理方法を当てることと、食べ物を味わうことは一緒のことでしょうか。食材の旬や誰が料理をしたか、食事の時の雰囲気や誰と食事をしたか、お腹の減り具合はどうか、など色んなことが影響して、「味わい」は変化します。それが食を通して体験することなのです。その食材が何であるかは、「味わい」の中から抽出して考えれば良い、あるいは知れば良いものです。「味わい」がないにも関わらず、正誤の問題ばかりに目が向いてしまう。これが具体的な体験を、抽象化してしまう最たる原因になります。

「正しさ」から「美しさ」へ

「正しさ」が抽象的問題であるならば、自身にとって何を基準として物事を判断していくべきか。その問いに対しては現段階では「美しさ」という尺度を持つことをおすすめいたします。「美しい」は感性の象徴です。

自分自身のしていることに正しさを見出すのではなく、「美しさ」を見出してください。していることが明確な人、その手、その論理は大変に美しいものです。「美しい」を知らないのであれば、知る努力をしてください。それは直感想造研究会という場でなく、あなたの「現場で」です。直感想造研究会は、あくまで「研究」の場です。それはあなた自身の「研究テーマ」を研究する場です。実際のワークや他の参加者との交流を通して、「あなた」は「あなたの道」を具体的に進む手がかりをつかんでください。それぞれがそれぞれの道を歩く上での一助になる。そういった場として成長することが、この直感想造研究会を主宰する私の願いです。

参加者の制限は特に設けておりません。どなたでもご参加いただけます。興味本位で来ていただいても結構です。回を重ねるごとに味が分かる。そんな粋な場を提供いたします。