尾森ノート

とにかく行動をかえろ

頭の中にあることを変えたとして現実の行動は何も変わらない。 であれば先に現実の行動を変えてしまう方が良い。 しかしながら人間には現実の行動は頭の中の自分が起こすものであるという錯覚を持っている つまりそれは自分の意思=行動であると言う無意識的な思い込みだ。

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真似よ!

目標とする人があった時に、その人と今の自分の違いを知ることは重要である。 知った後に大切なのは、その違いの原因を知ることであるが、「原因を知る」というプロセスは「考え方」を熟練しない限りやらないほうがいい。 なぜなら、安易に過去の自分自身に問題があると断定してしまうからである。

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無知の知

自分の出来ることを信ずる必要はない。 出来ないことなど山ほどあり、そのことを知ることの方がはるかに有益である。 そして、出来ないことがあった時に、それを「何が何でも出来るようにする自分自身」を信ずれば良いのである。 続きを読む

論理と理論

理論的であると言うことと、論理的であると言うことには大きな違いがある。 例えば今起こっている現象や状況について現時点でわかるのであれば論理的に説明することは可能であるが、現時点でわからない場合は理論が必要になる。 続きを読む

していることの明確化

物事に取り組むときに、「物事に取り組もうとする」という言葉がある。「物事に取り組もうとする」はそう思っているだけであって実際にしているかは分からない。そして、大方そう思っているだけであるから実際にはしていないのだ。 続きを読む

基礎が大切

これはどこにでもある言葉である。「どこにでも」というのは、どの業界にもという意味だ。ここで重要なのは、何を基礎として自分自身が認識するかである。ただし、初学者は半ば強制的なしつけのように、基礎を教わるが良い。なぜなら、何も分からないからである。厳密にいうと、知らないからだ。どのように取り組めば上達するのか? 続きを読む

分かるとは

もし何かを得ることで、生きやすく感じるのであれば、それは「生きる」を何かに委ねることに親和性があるからである。 それを咎める理由はない。 しかし、それで知り得たことは、全て「いのち」が知り得たことではない。むしろ、知りうることを放棄した結果として、「知った」という仮想を手に入れるのである。 続きを読む

実感という幻

朝起きたときに、自分自身が生きていることを実感する。このときに使用される実感というのは、自分自身の感覚を通して世界を認識した結果であり、常に実感というのは、本来的には認識なのだ。 続きを読む

守りたいもの

守る、というのは死語か。 「守りたい」という言葉は知っている。だが、その守るということの実際はどこにあるのだろうか。 先日の治療クラブ後に、日野先生がエピソードを添えて、「守りたいから強くなる」という話があった。 これは強烈に頭の中が揺さぶられた感じであった。 続きを読む

残された時間

人間の可能性と言う言葉は好きだ。 今レオナルドダヴィンチをモチーフにした神神の復活と言う本を読んでいる。 はっきり言えば超面白い。 彼は科学者であり、アーティストだ。 彼の生存していたヨーロッパはキリスト教信仰が常識的であり、科学などというのは悪魔に取り憑かれた愚行だとされていた時代だ。 続きを読む

自分で考えない

この表題については、概ね悪として語られることが多いように思う。 私の今年の一つのテーマに【自分で考えない】がある。 自分で考えなさい、とは言うが前にも記述したように、全ての言葉は借り物だ。その言葉に実感を持っていたとしても、裏を返せばその言葉を持つから、実感を「その言葉」で表現していると言うことになる。 続きを読む

応援すること

以前、ポッドキャストで「今現在やりたいことがないのなら、周りを応援しよう」と提案した。コロナ禍で企業の倒産や失業者は増加する一方であるから、「需要と供給」のバランスで考えると、まずは外出しない、できない、外食しない、できない、サービスを利用しない、できないということにおいて、需要が減る。 続きを見る