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実感という幻 (尾森ノート8)

実感という幻。

朝起きたときに、自分自身が生きていることを実感する。このときに使用される実感というのは、自分自身の感覚を通して世界を認識した結果であり、常に実感というのは、本来的には認識なのだ。

実感というのは、そこに意識が向くからこそ、得られるものである。しかし、そこを意識するというのは、主体的な行為であるため、そこに生じた「感覚」とは別物なのである。